認知症でも、かあちゃんしっかりしています

 

「かあちゃん、しっかりしなさい!と息子に怒られるの」

息子さんにしてみたら、お母さんのことを大事に思ってのことだとおもうのですが、声高できつめの言葉に、「怒られた」と思うお母さんは多いようです。子どもはいくつになっても、親が元気でいてくれるのは嬉しいもの。物忘れが進んできたお母さんにたいして「おい、しっかりしてくれよ~かあちゃん」と思うのも、しかたありません。

だけど、かあちゃんしっかりしています

私が日常的に話をするのは、80才も後半。95才もざらな年代の人たちです。なかには、10年以上のお付き合いになる人もあります。

「あのころが懐かしいですねえ、よく私たち、がんばってきましたよねえ」などと話をするのですが、しっかりしていた人も、認知力が低下してきて年齢も日付も分からず、さっき話した言葉も思い出せなくなってくることがあります。

昔話や、日常会話には、なんの問題もないのですよ。みんなの会話について行けないときや、上手く返事ができないときがあるのですが、まわりにいるお友達に声をかけながら答えを引き出し、うまくその場をやり過ごすテクニックまで、いつの間にか身につけておられます。さすがです。

人を見分けて対応を変える凄さ

「福田さんはリハビリの先生」という記憶が、深くこびりついているからなのでしょう。私が見ているときだけ、目覚ましく身体能力があがるひとがいます。握力を計れば10㎏近く値が上がり、根気よく歩き方をみてくれていた看護師さんの前では、歩き方まで変わります。

この女性をみていると、もしかしたら、記憶力が低下するのは、病気で思うようにならない自分の体や、家族への思いや、それらの葛藤の中で身につけた、老いて生きるための「新しいテクニック」なのではないだろうかと思えてくるほどです。

本当に、もしかしたらそうなのかもしれません。

お年寄りに私はこうして支えられています

またある女性は、私を見つけるたびに顔をしげしげと眺めて近寄ってきてくれます。「あ~らあなた、名前なんていうんだっけ。ほら、あの、あの人に似ている。・・・ふじわらのりかちゃん」とにっこり。藤原紀香さんといえば、美形でプロポーションバツグンじゃないですか。どこをどう見間違えると、私がのりかちゃんに似ているのか、ずっと不思議でしかたないのですが、ありがたく「はい」と返事をしています。

こんな風に褒めてくれるのは、お年寄りだけ。若いねえ、可愛いねえと言われていると、50近くの私もそんな気になってくるから不思議なものです。褒めてもらえるってスゴイです。

心の準備、これだけは

みなさんも、いつか介護保険を利用するかもしれません。これだけは心の準備をしておいて欲しいことがあります。サービス利用にあたり、「これからどんな暮らしをしていきたいですか?」「何かご希望はありますか」と聞かれるはずです。あの年齢になってもなお、未来に向かう質問をされるのです。すごいことだと思いませんか。

くれぐれも「希望だって?希望なんてあるもんか!言えば叶えてくれるのか!?」などと、怒りの交ざった返事だけはしないようにしてあげてください。若く繊細なケアマネジャーさんは、たいへんな気苦労をするはずです。

私も以前、男性から食って掛かるような返事をもらった経験から、なんと言って返事をすればいいのか言葉に詰まったことがあります。それ以来「希望」という言葉を使うときには、相手の心の状態と文脈を慎重に選ぶようになりました。

老年期の成長課題

「老い=衰え(不可逆的な)」と、脳は勝手に言葉を変換してしまうものです。しかし、そのように定義してしまうのは間違いです。老いて体が弱っても、トレーニングを重ねて見事に回復する人もいますし、認知症の人を見れば新たな適応様式を獲得したのではないかと思うこともあります。加齢と老いが同じ意味ではないように、老いと衰えは完全にイコールではないのです。

老年期には、若者とはまた一味違う形での成長があります。それを、堂々と若者に示してあげていただきたいのです。「いろいろあったけど、いま私はこう思っている」と、「いろいろあったから、いま私はこう思うようになったんだ」と、教えてほしいのです。その生きざまを見せてほしいです。

老いても簡単には衰えさせてもらえない時代になりました。ずいぶん以前からほんとうはそうだったのです。「リハビリテーション前置主義」という考えが、平成12年介護保険制度発足当初から、介護保険の根幹に元肥のように埋め込まれていたのですから。

「病気や寝たきりの人が増えて医療費や介護費がかさむと困る」という国家経済的問題は同時にありながらも、リハビリテーションとは、誰かに強制されることではなく、自分らしい人生を生きるため、微力でいい、小さくてもいい、自分のありたい方向へ一歩前進しようとしつづけることだと、私は考えます。そしてその答えは、いつでも「人と人との間にあるもの」。

日がな一日、何も考えずボーっと過ごすんだという人もいます。ボーっと過ごすって、どんな感じなんだろう。何も考えないって、どんな感じなんだろう。ちょっとうらやましい気がします。

自分のことをわきまえ、どんな中でも光を見失わないカッコいいお年寄りにも、私はたくさん出会って来ました。そんな記憶は、みんな愛おしい私の宝物です。

今日も長文を読んでいただきありがとうございます。

※老いの学習に関する研究http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/kyouken/old_web/bull/Bull11/sakamoto.pdf

photo credit: the closer daylight : liquid painting, scott richard, san francisco (2015) via photopin (license)

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