介護サービスと自己のありよう

 

前回の記事(http://fukui-yukorin.com/?p=14607)で、こう書きました。

>つまり「自分の体を大事にするのは、大事なお客さまのため」という考えが、自然に浸透しているのが介護・看護の現場なのです。

書き終えて、読み直し、自分の体の実感と相談してみたところ、「う~ん、ちょっと違うなあ」と思ったので、今回は、その微差や違和感の出所について書いてみようと思います。

自分の体を大事にするのは、大事なお客さまのため?

これはたしかに間違いではないのですが、実際そこにあるのはけっして「お客さま」という意識ではない。

「お客さま」というときには「他人」と「自分」、「サービス提供側と受け手」という明確な線引きがなされているでしょう?白と黒。別のものという感覚です。

けれど、介護や運動指導や個別ケアをしているときには、少なくとも私は相手を「お客さま」という意識でとらえたことはありませんでした。「患者さん」でもありません。制度上は「利用者」と呼びますが。介護保険がはじまってしばらくしてようやく、「ああ、そういえば私たちはサービス業者なんだ」と認識したものです。

あなたと私はつながっている

お客さまにサービスを提供するというより、むしろ、排せつの後始末をしたり、お風呂で体を洗ったり、立ち上がれない人の介助をしたりするなかで、自己と他者の境目がなくなる瞬間があります。相手の体をまるで我ことのように感じとり、その中で介護をするという感覚になっていくのです。それが現場の雰囲気であり、そう感じているのは私だけではないと思うのです。

「どうしてこの人は、今こう在るのだろう?」という自問自答や問いかけの中で、その人が「そう在る理由」を探し出そうとするとき、意識の中で体を繋ぎ、脳の中で再現して理解しようとします。

模倣や学習や共感に関係の深いミラーニューロンをフル活用していると云ってもいいでしょう。そうしなくては理解できない、不可解なことがたくさん出てくるのだから、仕方ありません。なにしろ相手は、病気や脳の状態や人生経験の違いも甚だしい、多様な人たちなのですから。

ですから、共感力の高い人ほど高い水準で相手を理解し、介護するでしょう。ただ、注意しなくてはいけないのが、理解するがゆえに相手に巻き込まれて判断を誤ったり、気持ちが辛くなったりすることがあるということです。

巻き込まれないための対処法

では、相手に巻き込まれずに、無駄にエネルギーを費やさずに、かぎりなく相手の立場にたちながら、より良い方向を示すにはどうしたらいいでしょう。

その対処法は、ずばり書くことです。たとえば、「なんとなく」感じたことも、具体的に相手のどんな現象を見て、なにを聞いて、そう判断したのかを詳細に記述するのです。

医療はもちろんですが、介護場面でも「なぜそうするのか」という理論的で根拠のあるサービス提供が求められます。そのためには、記録は大事ですし、書いた内容を見直すことで冷静な目で見ることができます。そのプロセスは立派な根拠のある介護記録となるでしょう。

よく見ること、感じること。これが大事なのは当然のこととして、その自分が感じ取ったことを言葉にするプロセスはとても役に立ちます。それは、自分の存在を大事にすることでもあります。自分らしさを見失わずに仕事を続ける秘訣であり、一緒に働く同僚の気持ちを大事に尊重し、心から通じ合って仕事をする秘訣でもあります。

さて、最初の話しに戻ります。

「お客さまのため」という言葉がやけに限定的で狭い言葉のような気がして気になったわけですが、つまるところ私は、サービスだとかお客さまだとか、どこか割り切ってしまうような関係ではなく、境目のない身体で相手とつながり、健全さや一体感を脈々と伝えていくことのできるこの仕事を「好きだなあと思っていますよ=」という事が伝えたかったみたいです。

寝たきりの人にもある、ふとした目や表情の変化、呼吸の変化、普段は見られなかった安楽な感じをつくりだせたときに、喜びがわいてきます。

これからやってくる医療保険・介護保険改正のたびに、現場に働くものは右往左往するのでしょうけれど、あったかいつながりだけは失くしたくないなあと、心から願っています。

photo credit: rainbow bright via photopin (license)

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