物語の中の私-認知症の人と私の共通点-

 

認知症になるのが嫌だとか、怖いとか、って思う人は多いと思います。けれど私が認知症の人の介護に関わる中で、ひとつ気が付いたことがあります。それは、まだいくらか普通にくらしている私たちと、認知症の人とは有る一点において何ら変わりはないのだという事です。私たちも認知症の人とたいした違いはない。それは、どういうことかと云いますと、「ストーリーの中でしか生きられない」という点です。

認知症になると、お金をとられた、財布を盗まれたという話を聞いたことがあるでしょう。でも、それだって、認知機能が低下する中で、わずかに残る記憶の点と点をなんとかつなげて線にしようと脳が勝手に努力した結果なのです。想像してもごらんなさい。過去の記憶がとぎれとぎれになっている状態を。いま、さっき、自分がどこで何をしていたのかさえ、すっかり忘れてしまっている自分を。

認知症の人のなかには、いま、まさに20代の娘であるかのような話をしはじめる人もいます。「お父さんとお母さんが家にいて、私の帰りを待っている。私はいま仕事に出ている」といった話です。聞いているうちに、いつのまにか今度は現在の話が交じり合い、過去と現在を行き来しながら「私の話」をし始めます。それを何にもしらないよその人がみて、「呆けた」「作話をしている」「意味が分からない」というのです。単に、自分の世界と物語をつくるために足りない情報を過去からとってきて埋めているだけなのですけど。

それにしても、認知症の人のこんな様子をみるにつけ、失った記憶をどんな情報で埋めるのかに、そのひとらしさや、人生があらわれるように思います。

健常だと思っている私たちの記憶も完全ではありません。昔のブログや日記をたまたま見つけて、「ああ、こんなことがあったっけ」「こんなことを考えていたんだ」という事はよくあります。だれかと思い出話をしているときに相手と話が食い違うということがあるでしょう?過去のできごとについて、とらえ違いや記憶違いをしていることは、ふつうにあることなのです。勝手に記憶をすり替えておいて、平気でいられる。それは自分のなかでは、つじつまが合っているからなのです。

たとえばバナナを見せられて、そのバナナがテーブルの下に隠されたなら、こそに「バナナがある」と私たちは分かっています。目で見えなくても、あるように見えるはずです。それはすぐ前の短期的な記憶が保持されるからです。記憶をつないで世界を描いているのです。

認知症の症状も、健常だと思いこんでいる自分の脳の状態も、さして違いはない。ひとかたまりの世界、つじつまのあうスト―リーを欲してやまない存在なのだ。

そう覚えておきさえすれば、すくなくとも認知症の人を、もっと深く理解できるようになるはずです。認知症になるのが嫌だとか、怖いとか、言っているのがつまらないことに思えてくるはずです。持続する恐怖心が人を健康にすることはありません。一瞬の動機づけには使えますが、そんな感情は早々に捨ててしまうことをおすすめします。

また、一方で「今、ここ、この瞬間を生きているなあ!」と感じさせてくれる人もいます。認知症という診断を受け、自分の身の回りのことに介護が必要になってしまった状況でさえ、幸せそうに生きている人です。今、ここ、この瞬間に生きるというキーワードや、フロー、ゾーンに入る、ということがとてもかっこよく見えるのは、もともと人は過去や未来に執着し、自分なりの物語をつなげてその中でしか生きられないようにできているからなのではないでしょうか。なかなか到達できない領域だからこそ、”あこがれ”という気持ちが起こるのです。

では、どんな人がその領域に到達できるのでしょう。たくさんの高齢者をみてきたなかで私なりに考えてみますと、「この世界(観)が壊れない」という確信があり独自の世界観を確立させている、という人です。そういう人は、「今、ここ、この瞬間」に身を委ねられるようになります。たとえば、「周りに支えられて生きている」という実感がある人、友人や家族のサポートがあり仲が良い人、「いつも感謝、なにごとも感謝」と日頃から口にしている人。そんな人たちは、認知症の症状があっても生活が荒れません。それを見て、周りで介護をする人も、たとえ困ったことが起こっても、なんとか穏やかな気持ちを取り戻していくようなのです。

もちろん、認知症が進行する場合のステージというのがありますから、みんなが最初からそうだという訳ではありません。最初からそうでなくても、良い介護を受けられる通所施設に通ううちに穏やかな暮らしを取り戻す人がいます。そういう様子をみていると、人は病気があっても学習可能なのだとつくづく思います。

医療の世界には「ナラティブ・ベイスド・メディスンNarrative Based Medicine」語りと対話に基づく医療というのがあります。自分が生きている物語(ストーリー)に、いま一度、思いをめぐらせてみませんか。

参考:EBMとNarrative Based Medicineの葛藤と相互補完
― 対峙する両岸の往復運動と人間の医療 ―

photo credit: Circumhorizontal Arc via photopin (license)

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