サプリメントのある暮らしは美しいか?熱く覚めているか?

1、怪しい壺を売られたら買う人!?

さきごろ、サプリメントや健康食品のネットワークビジネスをしている古くからの友人に誘われて、話を聞きにいきました。「福田さんって、壺を売られたら買ってしまいそうなひとなのね」とある人からいわれたことがあるように、わたしは基本的に「やってみないと、なにもわからないでしょう」「やっても見ないうちから、批評はできないでしょう」という考えをベースに、すすめられれば一度はYesと言う確率は高く、「来る者は拒まず」というスタンスでやってきました。

とくに私がひどいアトピーだったことを知っているひとは、健康食品やサプリメントのビジネスでいちばんに「あ、福田さん!」と思いつくらしく、「話を聞いてくれるだけでいいから」と誘ってくださるのです。理解できるまで話を聞いているためか、しらないうちに情報通になってきて「え?もう知ってたの。もう聞いたことがあったの?私より早いんだね~」と驚かれるほどなりました。蛇の道は蛇。餅は餅屋。

そしてたいてい「最近、どう?」と顔色を見られます。気持ちは複雑なもので、「変わりないわねえ」と言われたときには、「え?残念だった?いつもと変わらなくて残念?もっとひどい方がよかった?」と内心で思うほど、こうしたお誘いをうけるたびに「またですか?アトピーだから私に声をかけるのですか?」と卑屈な気持ちにおちいることもしばしばでした。

それでも、あたらしい情報について、つぎはどんなものが開発されて何が流行っているんだろう?という好奇心にあらがえないのがわたしの性(さが)。これも何かのご縁だと思い、話を聞かせていただくようにしています。

それにともない健康関連の商品(特に健康食品系)の知識や、何をトリガーにして人の弱みをツンツンつついてくるかも熟知してくるようになりまして、「ああ!それはいいアイデア!」「そのプレゼンテーションは素晴らしい!」と余計なことまで思いいたるようになってしまいました。

それでも、その商品を開発するまでの膨大なエネルギーをおもうとき、健康でいられなかった人や思わぬ病気になってしまった人の苦しみやつらさについて思いをはせるとき、みな、なにかしら大変なことを抱えているんだということも、体験談からたくさん教えてもらいました。

そして、結局のところ、みんな目指すところは同じなのだと分かるのです。

 

2、健康食品とサプリメントに関する私の基本的スタンス

しかし、もうそろそろ健康食品とサプリメントに関する私の基本的スタンスをまとめておくことにしました。それは、こういったことです。

1、栄養は食事からとるべし

2、食品が薬なみに高性能になればなるほど離れるべし

これを自分への約束にしていきます。

販売をしている人たちがおっしゃるように、たとえいまの食品が汚染され、栄養素が昔ほどには無くなってしまっているだとしても・・・

大事なことは、そしてまずやるべきことはサプリメントで補うことではなく、暮らしと環境を正しくあるべき姿にもどすことなのではないかと考えるためです。

「もう遅い、もう戻れないところまで来ている」「病気になるのがあたりまえの世の中」とも言われています。それでも、やるべきことは食品を正しくあるべき姿にもどすことであり、日々の暮らしに、ちょっとしたこころくばりと工夫を重ね、やわらかな愛を注入することではないでしょうか。それは食卓をあずかる立場にいるからこそ、できることであるようにおもうのです。

遺伝子レベルに介入してくることがわかっているようなサプリメントをとることは、その素材がたとえ天然のハーブだったとしても、科学的根拠のあることであっても、サプリメントやスティック状の袋に入った顆粒の形状をしている時点で、気色の悪いことだなあ・・・と。

心の深いところで感じていたことが、ちかごろようやく意識のうえに浮上して、いま固定された感じがしています。

遺伝子のスイッチを押すほどのメカニズムはないにしろ、たとえば、トレーニング後のプロテイン。運動後にプロテインを摂取すると、筋力増強効果が高まることがわかっていますが、それだって、基本は食品からとればいいのでは?ふつうにたんぱく質を食べれば?と思うのです。

効率的に摂取できることは理解できますが、私にしてみたら、気色悪い飲み物を体に入れるほうが健康に悪いと感じているわけですし、それほどまでのハードなトレーニングをして筋肉をがっつりつけようとしているわけでもありませんので、プロテインですら口に入れる優先順位は低いのです。

忙しくて、ちゃんとしたお食事を用意できないとしても、プロテインを買うのにお金を使うくらいなら、一品追加して、お食事を楽しむ準備をするほうが、よっぽど豊かな暮らしだと思うのです。

それになにより、「おいしいお食事」のほうがいいに決まっているじゃありませんか!?そして、わたし自身も仕事をしながら良いお食事ができる環境を、長年かけてつくってきたつもりです。それも、アトピーの繊細さゆえ。敏感さゆえ。食卓を変えることがたいへんなのは重々承知のうえ。

 

3、よりよく生きるために

いろいろ考えてきましたが、やっぱりよりよく生きたい!と心から願います。だから、まずは

①自分はどんな暮らしがしたいのか、どんな暮らしを豊かで幸せだと考えているのか、熟考する。もしくはやってみて体感して確認する。

②めざす北極星に向って手段と方法をえらぶ

のであります。ただ残念ながら、食事を楽しもうにも、自分でレシピを考えたり、食品を購入したり作ったりする手間があるでしょう。それが、ちょっとしたハードルになっています(料理が好きで趣味の人は別ですよ)。

わたしの場合は、多様な食品をありのままにいただくことが美しい、嬉しい、すばらしいと考えていることが分かりましたので、やるべきことは、サプリメントを買うことではなく、

①いいお食事をとれる環境をつくること

②食品と調理法やレシピを学ぶこと、助けてもらうこと

が、優先順位の上位にあがってくることになります。

いつでも立ち止まり、「そこまでして健康を手に入れて、何がしたいの?何が不安なの?その暮らしは美しい?他に方法はないの?」と、問いかけながら、これからも近所のオバチャンが分けてくれる旬の野菜を食べ、生産者を信じて肉やたまごを食べ、海のものを食べていきたいなあと思うのです。たとえその道のひとに「バカだ」と思われたとしても。

おなじように、運動習慣がないひとやそもそも運動ができないと思っている人が、どうしたら運動を生活に取り入れられるか、続けられるか、どんな環境を備えればそれが可能か?という問いに取り組むことは、私の永遠のテーマでもあります。運動が体と健康にいいことは、すでにギリシャのヒポクラテスも、日本の鎌倉時代の鴨長明も言っていた、そして今は脳神経システムをも回復させるという、長く歴史のあるゆるぎない事実なのですから。

 

4、やっぱり、ライフスタイルを変えよう!

昨年2015年の末頃、2年間以上行ってきた皮膚科治療(ステロイド薬の塗布)を「このまま続けていてはいけない」と感じるようになり(いつまでたっても、お薬が弱くならず減らなかったものですから)、お薬をキッパリと止め、薬なしで皮膚を回復させることに取り組んできました。

ライフスタイルをひとつひとつ確認して、失敗もしながら、自分にダメージを与えているものを排除してきました。そして、ようやくいま、半年がかりで丈夫な皮膚が、ちゃんと顔やからだを覆ってくれるようになってきました。

こんなにも、ふつうであることが幸せで、楽で、素敵なことなのかと、朝の洗顔後にしみじみと感じ入っています。顔が赤くないことが、熱がないことが、腫れていないことが、皮膚がちゃんとあることが、鏡をみても普通の顔がそこにあることが、こんなにも嬉しいことなのかと、ほっぺに手をあて、感謝しています。

だからこそ、いま伝えたいことがあります。

①足すことではなく、引いてみる(私は、洗顔料やシャンプーをやめました。変えてもみましたが、やめるのが一番でした)

②今までの習慣を手離す覚悟をする(執着を手離し、軌道修正していくためにはサポートしてもらうことと、一定時間がかかることも覚悟が必要です)

③良い習慣を選びぬく(いろんなことを先ずやってみて体感します。ただし最初は選ぶ力がありません。「気持ちいい!」とか「いい感じ!」とか「好き!」ってどんな感覚だったかを忘れてしまっているからです)

④いらないものを近くに置かない(近くにあると、元の状態に戻ろうとする引力が働くからです)

じつはこの半年間、ある女性からたくさんの愛を受けとりました。たくさんの時間を費やしてもらいました。ここまで関わってもらって、人はようやく変わることができるんだということを実感しました。

 

5、瞑想とマインドフルネス

もういいかげん、アトピーという弱みの部分を使って何かしようとするのは、やめなくてはいけないなあと思っています。疾病利得といって、病気であること、弱いことを理由に、代わりに何かを得ているという考え方があります。悪い状態にも、なにかそう在ることで得られるメリットがある。だから、いつまでたっても本来嫌なことであるはずの状態から抜けられず、変わることを選ばずにいる・・・というわけです(自覚してやっているわけではないのですが)。厳しいようだけど、ほんとうのことだと実感します。むしろ、そう考えた方がすっきりする。

自分が感じている無力さやぽっかり空いた虚しさを何かで補おうとするよりも、「なんかこれって、すごく私らしいよね!」ってこっそり笑って思えるようになっていくのが、すてきだなあと思います。

そしてそれは、このようにブログを書いたり、日記を書いたり、メモをとったりすることで、すべてのできごとや感情や思考を言語化していくことが助けになるでしょう。(今年の1月のはじめに94才の祖母が亡くなったとき、不思議なことがありました。それはまたいずれ・・・)

近ごろ流行のマインドフルネスも、瞑想という気づきのワークに他なりません。気づき続けること、そこに執着しないこと、ただ見ること、それが心の平安をもたらし、過度なストレスから身を守ることになるのです。

それでも、日々の「おや?」と感じることやちょっとした怒りが、次の自分の行動力の源であることも確かですから、ぜ~んぶ平安のノッタリした暮らしはダメかもしれないなあ、わたし。

2年ほど前には毎日ブログを書いて700日。そのときに、自分のためにブログを書くようになりました。その後、ノートに移行して書きつづけてきましたが、再びこうしてブログに書いてまとめるのは、やはり楽しいものです。

好きだと思えること、美しいと感じることを見失わずに、生きていくのはいい。

悶々としている間も、楽しんで。熱く覚めていることにしましょう。

 

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