もう自分の体に嘘をついて他人の期待に応えるのは やめにしよう

 

週まんなかの休日。勤労感謝の日。

過去のノートを読み直していました。

セミナーや研修で勉強したことや、本の要約や、アイデアだけでなく、モヤモヤした思いも、恨み言も、うれしかったことも、エピソードも、ぜんぶ一つのノートに書き残してあります。メモをそのまま貼りつけたページもあります。

おやまあ!

そこに、花柄のおしゃれな一筆箋に細かい文字で横三段に渡って書き連ねてある文字がありました。おやおや?なんだろう(たいてい覚えていません)

 わたしの努力もしらないで!

 前髪のばすほうがいいといっておきながら、

 何も知らず掻くなという。

 短くしておかないと痒いのをしらないのか。

 ずっと皮膚科で治療しているとはいえ

 なにもなかったようにおさえこんでいただけ。

 かゆさ、痛み、はりつめたつらさ、つまった感じを

 いつも表にさらしておいて、ふつうでいられるわけがない。

 いっそのこと、ぜんぶつぶしてしまおうか。

 皆にみられるこのつらさ。

 いつもこの感じといっしょにいなくちゃいけない、

 私の身にもなってごらん!

 ずっと閉じこもってやる。

 もう表になどでるものか。

 仕事してがんばって薬をつかってごまかして、

 この悲しみ、この怒りもぜんぶおさえこんで、

 なかったことにしていたんだ私。

 皮フがだめになっただけで、

 顔がまっ赤になっただけで、あっという間に

 こんなに簡単に逆戻り。

 世間へのうらみ、復しゅう、拒絶感で

 すぐにあふれかえらせることができるくらい。

 もう笑ってなんてやるものか。

 もうあいそよくなんてしてやるものか。

 勝手にすればいい。 はめつへの道にむかってやる。

 もう表には出ない。

 

およそ一年前の12月。アトピーが悪化したのに皮膚科に行かず、もう薬をつかわない、薬には頼らないという決意をしたころ。つい、かゆくて所構わずかきむしっている私に家族が言い放った言葉に、かくれていた悲しみや怒りがわきおこり、生き場なく書き連ねたメモでした。今読んでもあのときの暗い気持ちがよみがえります。

それは誰のため?

誰の為に髪型を決め、誰の為に笑顔でいたのだろう。

皮フがだめになっただけで、心は乱れ、あっという間に暗闇に逆戻り。

なにもかも「させられている」という意識が潜在化した言葉たち。

自分で選んだのではないという思いが言葉の端々から噴出していました。

 

あることないこと、ぜんぶ人のせいにしているなあ、わたし。

ひと前にでるような仕事、本当はやりたくなかったんだなあ、わたし。

ほんとうは、前髪も自分で好きにしたかったんだなあ、わたし。

顔をつぶしてしまいたいくらい、つらかったんだなあ。

 

あのころは顔が腫れ、首が痛痒く、頭痛と緊張で身の置き場なくて、夜中に眠れず、勝手に手がからだをかきむしろうとするので、眠りながら自分に「傷めつけないで」と、必死に声をかけていました。「体は預かりもの、ご神体だと思え」と、自分に言い聞かせていました。どうすれば、この時間をしのぐことができるだろうかと、いつも考えていました。

もういいやって思ったの

そして、いままで体がサインをだしているのに、薬でなにごとも無かったかのようにごまかして、自分の人生をごまかして生きていたことがはっきりと分かってしまったのだから、もう体がNo!と言うことはやらないことにしようと、決めました。

 

そして今年1月。入院していた祖母の意識がなくなりました。病院にかけつけた祖母のベッドの傍らで、いっしょに見守っていた叔母が、ふと私に聞きました。

「顔、どうしたの?」

「顔、丸いでしょ。腫れてるの。薬をやめたの。もういいやって思ったの・・・」

アトピーが再び悪化しているのを見た叔母が心配してくれて。それで、「もういいやって思った」ことを話していた矢先、アラームが鳴りました。酸素濃度低下、心拍低下。祖母はゆっくりと息をひきとりました。

 

おばあちゃん、私がもういいやって言ったの、聞いていたのかもしれません。もういいやって思ったの、それでよかったのだと思いました。きっと祖母も安心してあの世に旅立ったのだと思います。今にして思えば、薬をやめたことも、なかば自暴自棄の所業だったのかもしれません。

 

だけどもう大丈夫

だけどもう大丈夫。

もう自分の体に嘘をついてまで他人の期待に応えるのは

やめにしましたから。

やめにしたとはいっても、またいつでも古い習慣はよみがえるでしょう。

でも、薬をやめているから、すぐにサインがわかります。

丁寧にくらしているから、周りのことが良く見えます。

心から支えてくれる強力な友も仲間もいます。

 

そのうえ、何度もメモを読んでいたら

駄々をこねている子どもみたいで笑えてきました。

なんてことないわね、困難も

気持ちいいこと、楽しいことを

重ねていきましょう。

 

10秒ポーズは、かつてのわたしの様に

いろんな理由で表に出て運動できない人のために

つくったものでもあります。

 

辛く苦しい、いまの体から

少しずつでも

快感を探しに動いていくのです。

 

追伸:なにかあれば、ひたすら書くことおススメします

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP