不安から行動を起こさない

ともすると私は「●●になっちゃったらどうしよう?」という思いに駆り立てられることがあります。たとえば、苦情を受けたときや、失敗したことに自分でいち早く気づいたときが、それにあたるでしょう。

不安から行動を起こしそうになったとき

不安的な妄想力が高いひと(私もそう)は、現実味を帯びて感じられ未来の恐怖におののくことになります。「うっわ!やば~い!」って感じです。

こうした際には、被害や損害が広がらないように予防的手立てを考えたり、対策をこうじることが通常ですが、私が不安から行動を起こしそうになったときには、「ちょっと待て!」と自分に声をかけるようにしています。(補:「行動」のなかには身動きできなくなる、または逃げるという対処も含んでいます)

現状確認、思考の整理をします。まずは不安という感情の波紋を身近な人に広げないためです。①そもそも、いのちに関わることかどうか、②そもそもここでほんとうに大事なことはなにか、考えます。(隠しても隠しきれないこともあるでしょうけど、最善を尽くそうと思っている、ということです)

そして、成功と失敗のどちらでもない、更に上をいく結果を生み出せるなら、言うことなし!

からだとことばと同じもの

からだとことばと同じもの。世界を分け、宇宙のエネルギーを受け取る器のようなものなのだと、私は最近になって思えるようになりました。言葉が混沌とした世界に光をあて、なんでもなかったものに名前をつけ、現実を形づくってきたように、体(とくに皮膚)はこの空間のなかで「私」というものに境界をつくり、エネルギーを受け取り代謝する存在に仕上げてくれています。

皮膚がさんざんにやられてしまった経験のある私としては「皮膚さん、ありがとう!」と時々声をかけています。私の皮膚もなんとか「神ってる」わね。

しかし一方でこうした物質的な体は他人と共振しあいながら、言葉に寄らない連携をとっているようです。

私たちは本能的に互いを模倣しようとする—身体、行動、それに話し方まで、互いに同調させようとする。

(ミラーニューロンの発見/マルコ・イアコボーニ  /早川書房 P140)

人間は他人のさまざまな状況でのさまざまな表現を模倣する。笑い、微笑、好意、困惑、不快、嫌悪、どもり、努力・・・。こうした擬態は・・・コミュニケーション行為であり、言葉によらないメッセージを迅速かつ正確に別の人間に伝えている。(同上  P140-141)

私たちの言葉が肉体に本質的に結びついてるものならば、言葉は身体という個人的な経験を社会に伝える翻訳機。

私たちの心のプロセスは身体によって形成され、その過程での身体運動と周囲の世界との相互作用の所産として、どのような知覚経験と運動経験を得たかによって形成される。この見方は一般的に「身体化された認知」と呼ばれ、これをとくに言語に適応した理論を「身体化された意味論」という(同上 P119-120)

こうして私が言葉を紡ぎ出しているときにも、おそらく私の脳の中に「紡ぐ」動きに対応する脳領域が活性化されていることでしょう。すくなくとも私が言葉を書くときには、何度か体をくぐり抜けながら発せられているのを感じます。

けれど、言葉を使う人が体験してきたことは、それぞれちがうはずですから、ひとつの言葉を聞いたときにも、思い浮かべるシーンや体の変化は似ているようで別物なのだと推測できます。気持ちの行き違いや勘違いって、こういう所から生まれるのかもしれませんね。

まず足もと、地盤をしっかりと

11月8日 福岡駅前道路陥没のニュース。道路の下のガスや水道管の模式図は、まるで皮膚のしたにある血管や神経の模式図のようでした。ライフラインとはまさにこのことかと思いました。

都市も生きてるんだなあ
血管が破れたら
たいへんなことになるんだ

と。

あのとき、陥没の映像をみて足もとがすくわれるような不安が身体に感じられませんでしたか?私は、「がぼっ」と穴に落っこちるイメージをしてしまいました。

なにはともあれ、私たちの暮らしや仕事も、まず足もとからだなあ・・・と思いました。地盤をしっかりと。それから動くようにすれば、すくなくとも思わぬ崩壊は免れるでしょう。不安で慌てふためきながら行動を起こすより、何かあればまず事実確認、それから自分の心をおちつけて、この状況で、この立場で、何が一番大事かを考えます。

でもまあ、足もとが崩れそうになったら、次にすばやく跳び移れるようにつねに先を見ておくことも対処の一つ。これは、私が20代のころに沢登りで不安定な岩がゴロゴロしている渓流を歩くときに身につけた、私なりの方法です。あなたにも、こうした体で覚えているとっさのときの対処法があるでしょう。

やっぱり体を動かしましょう!というオチ

けれど、こうした身体感覚はいったん鈍らせてしまうと、感覚を取り戻すまでに少しトレーニングがいります。不安定な環境で行う身体トレーニングが日常におこる非常事態の対処にきっと役立つはずです。

また「おおよそ」「だいたい」「推測」が苦手な人も同じようなことだと思います。見積もりの誤り、もっといえば見積もれないというのは、身体機能の衰えのサイン。ボディイメージを限定的にしか使えていない。主には経験不足。仮説検証してみた数が少ないか、検証の結果が乱されるようなまずい経験をたくさんしてきてしまったか・・・。

こうしたことに思い当たる人は、これからは自分で決めて、自分で選び、自分で動き、自分の目で確認をしてみましょう。まずはやってみて結果を確認。とりあえずはだいたいでいいとおもいます。いろいろなリアルな経験を遊びのように体に記憶させていきましょう。

やっぱり体を動かしましょう!というオチでした。

(※写真は福井県大野市刈込池の登山道で撮影 Watch your step!)

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