人の力を奪うリハビリは、もうやめませんか、というお話

 

人の力を奪うリハビリは、もうやめませんか、というお話。

もう20年ほども前のことで、お恥ずかしい話ではありますが、私が新米で病院に勤めていた頃のことを、ちょっとお話します。(ちょっとではないな、長文です)

たびたび外来に通ってくる、半身麻痺を患った女性がありました。年は70代くらいだったと思います。娘さんと不仲で、愚痴を聞くのが私の日課でした。

話も尽きた頃には「肩が痛くて仕方ないの、マッサージして」と、顔をしかめては訴えてくるのが常でした。

私は、ほとほと嫌気がさしていました。だけど、どう対応していいかさっぱり分からず、言われるがままに肩をさすったりほぐしたりしていました。そして、ほんとうのところ、私はその人のことが大嫌いだったのです。

同じようなことが、訪問リハビリでもありました。訪問リハビリとは、家に訪問して行うリハビリです。なのに、私ったら病院で行うようなマッサージや歩行練習しかやっていなかったのです。わざわざ「家」にまで行っているのにも関わらず!です。

この意味、分かりますか?

「家」とは、その人がもっとも多くの時間を過ごす場所。その人の24時間や、家族との関係について、情報がどこにでも転がっている場所。なのに、私は病院で行っていたマッサージや筋トレや歩行練習しかやっていなかったのです。

「先生が来てくれて、ほぐしてくれたから楽になった」「先生が動かしてくれた後は、楽なんです。その後なら歩けます」そういう、言葉に満足していました。

でも、今ならわかります。愚痴に流されてはいけなかったし、「○○先生のお蔭で・・・」なんて、言われて喜んでいてはいけなかったのです。

だって、想像してみてください。その人は私が居ない時間はどうなっているのでしょう?きっと、いつものように動きにくい体で、「やっぱり歩けない」って思っているはずです。

「自分の努力や工夫で、自分の身体や人生は変えられるんだ」と確信を持てるようにして帰ってこなければいけなかったのです。

幸せを感じられるのは、結果どうあれ(たとえ失敗したとしても)自分が自分の意思で目標に向かって努力している時であり、「してもらって楽になる」ようでは、身体がわき立つような幸せは実感できないのだし、家族や社会への嫌悪感を抱えていながら体の痛みが消えることはないのだと、今ならさまざまな脳科学の知見からはっきりと言うことが出来ます。

過去に流されていた私にも責任の一端があると、重々承知していながら棚に上げて言いますが、もう、人の力を奪うリハビリはやめにしませんか?からだをほぐして、歩く練習だけして帰るようなリハビリはやめにしませんかと言いたい(言ってしまっていますが)。その人の、24時間の可能性をもっと想像してみて欲しいのです。

いまなら、制度の外から社会づくりや新しいサービスをプロデュースして、関係作りから再構築しよという取り組みをしているセラピストたちがたくさん出てきています。毎日のルーティーンワークから外れてみるチャンスは、いくらでもあります。受け身でいるのは、もうやめにしましょう。みんなの中に力はある、光はある。

お互いさまや奉仕の心で手助けが受けられる、場合によってはいろんなものが無料で手に入ってしまうような、このふくいの風土や文化の中で、幸福度No1と言われ、いろんなものが手に入りながら、私が幸せを実感できないでいたのは、言われるがまま、されるがまま、疑問も持たず、新たな行動も起さず、受け身だったからだということが、今なら分かります。

話は変わりますが、セックスですら受け身をやめさえすれば、自分の身体が変わります。今までとはまるで違った行為に変わるでしょう。本心では「すごく、嫌」と思っている女性は実はとても多い。それは、受け身でいるからです。

あれはコミュニケーションです。自分から行っちゃってみてください(ああ、へんなアドバイスしちゃった)。知覚運動探索行為は、自分の脳と身体機能を高め、ボディイメージを健全なものに変えてくれます。

変な話をしてしまいましたから、申し訳ないのでいいね!は押さないでくださいね。ちょっと、怒りがわいてくることがあったものですから。ああ!でも、読んでほしい人には読んでほしいから、いいねって思ったらいいね!下さい(すみません)。読んでくださってありがとう。

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