若き乙女が見た、満州の平原と太陽と

photo credit: ~dolldreamer~ via photopin cc

かつて満州で、日赤の看護師として戦中・戦後をすごした80代女性Aさんが、当時のことを話してくださいました。そろそろ2年にもなるおつきあいなのに、まったく初めての話でした。

ほかにもたくさんのお年寄りと話をしてきましたが、戦争中のことはあまり語らない、語りたがらないです。自ら話をはじめた人でも「うっかり話してしまったが、こんなこと私が話したとは言わないで。忘れてくれ」といいます。

Aさんは、ふと何を思ったのでしょう。こんな話を聞かせてくれました。

「20歳の時、日赤の看護師として満州にわたりました。そこでわたし見ましたよ。あの、まっ赤な大きな太陽を。山もなく、どこまでもずうっと平原がつづくんです。貨車で移動し、傷ついた兵隊さんの看護をしていました。下関から釜山にわたり、列車で朝鮮半島をとおって一週間はかかりました。日本は、あんな大きな満州をとろうと思ったのが間違いですよ。戦中・戦後を過ごしましたが、どんどんみんな南へ逃げて移動して。ソ連近くの北にいた人は、いちばん大変だったと思う。本に書かれているような苦労は、みんながしてました。私はまだ若くて力もあって、子どももいなくてよかったけど。胸に大きな傷をうけた兵隊さんや、歩けない人たちもたくさんいて、連れて移動しろと命令されましたけど、運ぶなんて無理ですよ。誰に命令されるともなく、安楽死してもらって(注射をうつジェスチャー)黄砂に穴を掘って埋めました。歩けなければ死ぬんです。私たちも青酸カリをみんな持たされました(左胸に手をやる)。だけど、死ぬことなんてこれっぽっちも思ってなかった。みんな死ぬから、死は特別じゃなかったんですあの時のことを思えば、こんな膝の痛みくらい、なんてことないわね」

・・・・・・・

そうだ
「あの時のことを思えば、今のこれくらいのこと・・・」
このフレーズ以前にも聞いたことがある

同じく戦地へ行った車いすの男性
歩くリハビリを、やる気もなさそうに
それなのに足の痛みに耐え、黙々と歩くのをやめない人
なんて頑固な、ひねくれおじいさん

「あのとき死んでいた自分を思えば、こんなことくらい
むしろ、もう死んでしまった方がいいのに、生きている」

そうか
歩けない人は生きていられなかったのか
あの時代、あの場所では

歩きたい
歩きたい
歩きたい
歩きたい

歩かなければ
ただ、歩かなければ

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