それでも私は、広い世界を見てみたい

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前の記事で、息子に勧められて読んでいる本のことを書きました(この世に生きるものが、なぜ、このように在るのかを、知りたいのです/byエリン)が、まずは『I 闘蛇編』『II 王獣編』を読み終えました。

人がどうしてこんな構造をしているのか、なぜ歩けなくなってしまう人がいるのか・・・。ふと私も理学療法士としてこれまで何を教えられ、何を学んできたか考えてみました。

すると、それは「力」でした。地球上にあっては「重力」。

重力に抗して起き上がれるのか、立てるのか、持ち上げられるのか、できないならそれは何故なのか、いつどんな理由で体が崩れていくのか、というのが目下私の最大の関心ごと。人が動くということには重力、つまり地球の存在を無視してはありえない。

仮に、宇宙空間(無重力)であれば軟骨がすり減っていようが靭帯がゆるんでいようが、多少麻痺があろうが易々と動けるわけで・・・。

宇宙飛行士が宇宙空間でトレーニングしなくてはいけない理由は、重力がないこと、狭い空間で活動量が減ってしまうことがあげられるでしょう。地上に降り立つとふらついて歩けなくなっていたのは、微重力や無重力空間に最低限必要な筋力であるよう、体が適応したからです。

「体の重さ、持ち上げる重さ、日常の移動距離=かかる負荷」 vs 「それを支える筋力・靭帯・骨・軟骨の強さや容量=体の力」。この対決にあって、「かかる負荷」<「体の力」 であれば死ぬまで立ち歩くことが出来ます。(近ごろはリハビリロボットが体を支えて歩く練習をさせてくれるようになり、いまも開発が進んでいますね)

力が弱くなると動く範囲も狭まるので、結局のところ動くことに困らない時期が一旦訪れます。それで満足できるなら、いいのだけど。それでも私は、いくつになっても広い世界を見てみたいと思うだろうな。

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